MMオフィシャルブログ

東京で落ち着ける場所探し中。

君たちはまな板の鯉になったことがあるか

 

えいっ為るがままよ!と腹をくくって身を任せる経験、まな板の鯉のように天命に従う経験、結構かっこいいエピソードとして語られるものだと思う。

私があと30年くらいすれば「あの頃はもう決死の思いでね…でもなんとかなるもんだよ、人生ね。」なんてちょっと遠い目をしながらそのそれなりにかっこいまな板の鯉エピソードを控えめに話すことになる。そしてそれを聞いた希望に満ち溢れた若者がやっぱすげえ、でも俺は越えてやる、もっといい世界をつくるぞと志を固めていくことになる。賢者は歴史に学ぶ。

 

とはいえ、今までのまな板の鯉エピソード(以下まな鯉)ってなんだっけなって。この22年間でもまぁまぁあるんじゃないのって考えていた。何かあったときのために用意しといたろ!って、いい感じにまとめといたろ!って思い返してみたけど、何かイマイチで私の人生深み無!!!って思って日が暮れて、朝が来る。そんな生活を送っていた。

 

 

でもつい最近やっとわかった。

まな鯉エピソード、私にもあった。

 

これがまな鯉エピソードかよって自分で言っておきながらやや引いたけど、もうこれしかないなって。

 

 

 

そうですそれは全身脱毛の施術のとき。

 

 

病院で使われる診察台みたいなベットにうつ伏せで寝そべるところから全ては始まる。身に纏うのは小学校の時の水泳の授業で使っていたような身体に巻くタオル。端と端をボタンで留めて筒状になったタオルの下には紙パンツ。

パンツといっても逆Tバックみたいな形でもうほぼ何もパンツとしての機能をはたしていない。なにも隠れていない。恥と恥から申し訳程度に身を守ってくれる精神的な支えのためだけに生まれてきた紙パンツがそこにはある。

 

というかそもそも人は何故パンツを履くのか?気になったので調べてみたらさすがインターネット。先輩方が調査済みでした。

パンツをはく文化が生まれたのは明治時代、洋風ドレスに和風の腰巻が不似合だったから。とはいえそこまでパンツ着用文化は浸透せず、契機は昭和7年に訪れました。

それは白木屋百貨店での火災事故。

 

デパートでの火災のときはまだ着物の女性がほとんどで 高い階から下の救命ネットに飛び降りるのを 着物がめくれあがるのを躊躇したため 多くの女性が焼死してしまったようです。 これは当時、大和撫子の恥じらいの美徳を世界のメディアにまで知らしめましたが パンツをはく風潮をつくったと言われてます。

らしいです。*1

 

 

あれから86年、 もともと恥部を隠して恥じらいを和らげるために誕生したパンツによって逆に恥ずかしめられるという矛盾した状況に陥っているが、生きるとはそういうことである。歴史からなにも学んでいない私は賢者には程遠い。

 

福岡の5倍以上店舗があるにも関わらず、福岡の3倍以上予約がとりにくい地、東京。

この一億総脱毛社会である東京で働く脱毛のお姉さんたちに時間的余裕はなく、私の恥じらいにお構いなしに施術は始まる。

 

 

 

脱毛の手順は以下になる。

えらく冷たいジェルを塗られ、温かいレーザーを当てられて、ジェルが拭き取られる。

その後ミストをかけられて保湿されるという流れだが、もう一度台の上に乗ってしまったなら身を任せるしかない。

 

この時点で既にまな鯉度合いが伝わると思うが、特に、VIOラインを施術されるときがひと際―――――私は、鯉になる。

 

 

 

「腰を浮かせてください」

機能面が皆無と言っていい紙パンツをほぼ脱ぐ。お姉さんは有無を言わさぬ手つきでジェルを塗る。

 

 

 

為すすべなし。

為るがままに、在るがままに。

 

私は、そのパンツに機能性がないとわかっておきながらも、

本当は意味なんてないって知っておきながらも、自ら履いたのだ。

 

 

人事は尽した。天命を待つのみーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから何時間経ったのだろうか、気が付いたらすべてが終わっていた。

 

降り注ぐミストによって、ついさっきまでレーザーをあてられていたとは思えないほど潤った全身がそこには広がっていた。

 

 

もう、終わったのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあハーブティーはフロントでお出ししますね。眩しいので注意してください」

 

 そういって視界を塞いでいたタオルがとられる。

 

 

久しぶりに外界の景色をみた。

身体を起こす。

 

なんとか、、なった、、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全身脱毛を始めて1年ちょっと経つけどおススメですね。

まじで楽になるので。ちなみに私は銀座カラーです。

 

 

 

ようやく部活動の夢をみる呪いが解けた

 

 

ミズノのスパイク、日陰の無いトラック、蝉の鳴き声。

ウォータープルーフの日焼け止めを使っているはずなのに滴り落ちる汗は白く濁っていて、その汗をタオルで拭いた後、スパイクピンを締め直しながらタイムテーブルを確認する。

 

 

 

 

 

え?

 

時計を見直す。

 

 

召集*1、終わった?

 

まずい

 

 

 

 

 

 

陸上を辞めてもう5年経つのに未だにこんな夢を見ていた。半年前くらいまで。

召集というのはレース前の点呼のようなもので、設定された召集時間に手続きをしないと棄権とみなされて試合に出られない。

 

他の競技でも召集制度があるのかどうかは知らないけれど、陸上部にとって召集遅れによる失格は死を表す。

勿論自分自身が悔しいのもあるだろうが、大切なレースを単なる不注意で無駄にしてしまうだなんて、そんな理由で棄権だなんて、顧問に、メンバーに、会わせる顔がない。 

 

試合で力を発揮するために辛い練習を積み重ねてきたのに、それが召集時間を確認していなかったミスで台無しになることほど情けないものはないのである。

 

 

そんな頭が真っ白になるという夢を見た。

せめて現役時代に経験していたならわかるが、そんな恐ろしい経験をしたことがないにも関わらず。

 

ハッと目覚めて、大して暑くもないのに汗ばんでいることに気がついて、心底安心する。

安心してからは、本当に汗をかく夢を見るんだってことや、競技から身を引いて4年間も経つのに未だにこんな夢を見ていることをようやく認識できて、笑うこともできた。

 

 

一度じゃない、陸上現役時代に戻った夢は今までに何度も何度も見てきた。

 

例えば、高校時代ウォーミングアップのメニューとして決まっていた動きがあったのだけど、それを全て忘れる夢。

先頭で引っ張っていかなくてはならない立場なのに記憶が飛ぶ。いやいやありえないだろと思うけれど、それでまた頭が真っ白になって目覚める。

 

例えば、リレーのレース中に何故かバトンが消えていて失格。

現実では有りえないけれど、そこではその事実があって、頭真っ白。県大会であれば当然のように表彰されるような強豪校だったのに、表彰アナウンスで自分の高校の名前が呼ばれない。

完全にチームは通夜。完全に顧問は瞳孔全開。これも夢だった。

 

他にもいくつかレパートリーはあるけれど、共通しているのは必ずバットエンド。頭が真っ白になって目覚めて、安心する。

 

 

一体いつまでこの夢を見るんだろう。

もう大学生活も終わりかけだというのに、まだ懲りずに高校時代の部活動の夢を見るのか。そう思っていた。

 

 

だけど、半年前からこの類の夢を見なくなった。

 

その理由は、当時の自分ときちんと向き合って、受け入れることが出来たからだろうと勝手に解釈している。 

 

 

夢は深層心理を表すという話もある。

深層心理に存在していた当時の感情が、「(悪)夢」という形で自分を支配していたんだろうな。夢っていう逃げようのない、しかも準備もできない場で仕掛けてくるのめちゃくちゃ性格悪いわ。お前とは仲良くできない。

 

 

 

 

 

もし過去に戻れるなら?人生やり直せるなら? 

著名人の質問箱に何度となく来るこの質問。私は過去はすべていいものだったと答えたいと思っていた。まっすぐな気持ちで、「全てが私の形成にポジティブな経験でした」と言いたいと思っていた。

マイナスな経験をマイナスだったと認めるよりも、成功は失敗のもと!と眩しく言う方がなんだか人生をうまく生きている感じがする。

 

 

 

だけどまっさらな気持ちで考えたとき、私はそうではなかった。

 

やっぱり高校時代、部活はあまり上手くいかなかった。

けれど、それ以外にも勉強はしていたし友達もいたし、大変だったけれどそれなりに頑張ったし。だからそれで良かったと思っていた。

 

でもやっぱり、良くなかった。

置かれた状況の中でもっと良くあるためにできることがあっただろうに、大した努力をせずに過ごしてしまったんじゃないだろうか。

自分のことばかり考えて、視野が狭くなっていたんじゃないだろうか。

 

 

「あぁ、あの時期勿体無かったな。嫌だったな。」と、高校を卒業してから4年も経ったときにきちんと受け入れられた。それからは別に、当時の自分を庇う必要もないし、過去の自分や状況を批判したっていいと思えたし、案外そうすると楽になった。

 

 

 

 

過去の経験が全て身になって、全て良いものでしたと言うと、綺麗で一貫性がある。

 

なんだか思うようにいかなかった経験も全て美談にしたいし、そもそもそんな経験がなかったかのように前に進める強さも欲しい。 

 

だけどそんなに簡単に語れるわけがない。

どうしたってダメだったときはダメだったんだから、きちんとそれを受け止めないといけない。

「失敗は成功のもと」って、きちんと失敗を失敗だと認められていることが前提にある。この言葉は今まで幾度となく聞いてきて、その度にすっかり分かった気になっていた。この言葉の背景を描いて理解できていなかった自分の浅さを思うと、また少し反省するし恥ずかしさも感じる。

 

失敗や後悔を思い出して、その原因を分析する作業は自分の弱いところと向き合う作業だから正直苦しい。そんなことしないで、「なんだか上手くいかなかったなぁ」くらいで済ませておいて新しいことに着手する方がよっぽど楽で楽しい。

自分が費やした時間が長ければ長いほど、それを失敗だったと、上手くいかなかったと認めることは苦しい。

 

 

 

人がそれまでの人生を語るときは綺麗で一貫性があるように話す。

だけど、人の人生ってもっと複雑で、繊細で、一貫して語れることはそう多くないだろう。

 

そんなはずじゃなかった自分と向き合って、じっくり寄り添って、そうしてようやく自分を受け入れる。そして、そんな自分と付き合っていくという地道な作業の先に、言葉で聞くと綺麗な物語があるんだと思う。

 

 

どうしたって自分と離れることはできないし、3年後くらいにはもう少し良い距離感で付き合えているといいんだけど。。。

社会人になって2週間の頼りない自分に、どうか頼むよとお願いするばかりです。

 

 

 

 

 

 

*1:レース前に行われる点呼。大会によって時間は異なるが、現役時代は40分前に召集に行っていた。(もう詳しい時間も忘れてしまった)

あんなに大好きだったのに、もうそれは過去の話で

 

 

 

 

 

 

あんなに大好きだったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し前から、卵焼きが「普通に好き」になった。なってしまっていた。

 

 

 

 

甘い卵焼きが本当に大好きで大好きだったのに、気が付いたら普通に美味しいとしか感じられなくなってしまっていた。

高校時代、ほぼ毎日母親がお弁当を作ってくれていて、ほぼ毎回甘い卵焼きが入っていた。結構な頻度で食べているくせに毎回美味しいと思い、毎回卵焼きが大好きだった。

 

私は、好きな食べ物ランキング(変動性)を高校3年生のときからつくっているのだけど、卵焼きは大学2年生の時まで、なんと3年連続2位の座に君臨していた。3年間であらゆる食べ物に触れてきた中での2位。優しい黄色に可愛らしい丸みのあるフォルム。シンプルな見た目と親しみやすさの裏にあるのは絶対的な自信か余裕か、他の一品とは安定感が違う。

 

 

 

例えば、ものすごく美味しくて、高いお寿司を食べたとする。

いや待てそんな高い寿司食べたことないので、良い肉を食べた、良いステーキを食べたとする。これはある。

もちろん幸せになる。一口一口を噛みしめて、匂いも、食感も、全てを味わいたいと思う。

ものすごく好き。めちゃジューシー。柔らかいし脂がめちゃ美味しい。

 

 

だけど、所詮彼らは背伸びしたいとき用の、余所行きの味である。

たまにしか味わえないし、たまに味わう事こそが良くって、安定感はない。

 

遊びの相手と本命は違うっていうのと似てるのかなとも思った。彼女と奥さんは違う的なね、知らんけど。それは常に全力であれよ。

 

 

 

そんな大本命の卵焼きも、大学入学後、徐々にお弁当を食べることが減るに伴って食べる機会も減ってしまうようになった。

それでも大学2年次くらいまでは2位の座に居座っていた、それくらい大好きな卵焼きだった。だけどあるとき、いつも通りあの安定のおいしさを、あのトロトロな、焼き固まりきっていない食感に、ちょうどいい甘さを期待して口に含んだときに、少し違和感を覚えてしまった。

 

 

「あれ? 普通に美味しい に成り下がってない?」

 

 

いや、美味しいのは美味しい。だけど、あの、「いつもの味のくせにうまい~~!」みたいなね、「ほんと単純なくせに、割と手軽に作れるくせに、もう全く美味しいんだからぁ!!」みたいなね。ディスったり悪口いったりもできるけど、それもその裏に絶対的な愛があるからこそ言えて、それは卵焼き側も知っているからこそ傷つかない、そういう仲くらいあった。

いや本気で言ってたら3年も2位じゃねぇだろ、お前それ、みたいなね。

 

なのに、『普通に美味しい』に成り下がってしまっていたことに気が付いてしまっていた。

 

 

お前、、おい、いつの間にウインナー的ポジションになってんだよって感じですよこっちからしたら。いやそりゃあ世間一般的には卵焼きもウインナーポジションの、「想像できるかつ想像通りの普通に美味しい奴」かもしれないよ?!でも、私にとっては、お前は、お前は・・・・そんなヤワな関係じゃなかっただろ!!?

安定感の中にも毎回感動がある、素朴な見た目で毎回ハードルを下げておいて、それを見事に裏切ってくれる、そんな、そんな刺激的な関係だったじゃないか…

 

ランキングをつくっていなかった中学生時代から控えめにアピールし続けてくれてさぁ、ランキングをつくって以降、毎食毎食がコンテストな訳よね、食べ物側からしたら。

今書いて初めて気が付いたけど、結構なプレッシャーだよね、毎食毎食が総選挙だよね。最低でも1日3回総選挙だよ。私のことは嫌いになっても食べ物の事は嫌いにならないでくださいって、、、いやいや、スケールが違いすぎるでしょ。背負うものが重すぎる。食物全般って、もう。

なのに全くそんな重圧を、葛藤を、全く感じさせないあの優しい安定感をみせていてくれたのねありがとう、、、、情熱大陸出演ものだよ、、、、

 

 

そんなたくさんの思い出を共有している卵焼き、大好きな卵焼き、勿論、そりゃあ、大好きなんだけど、「普通に好き」になっちゃったと気が付いてしまった。恐らく去年頃から。

このことがすごく寂しい。

 

 

 

私が変わっちゃったのか?卵焼きが変わっちゃったのか?どっちも変わっちゃったのか?

 

 

 

 

変わるって、人が変わることって、そんなに簡単なことではないと私は思っているからこそ、すごく寂しくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

もう大学卒業が刻一刻と近づいてきているのだけど、大学に入って、高校の頃よりもぐんと関わる食べ物の数も、人の数も増えた。

仲良しだと胸を張って言える人から、あー顔は知ってるとか、イベントで会ったとか、そういう人まで親密度のグラデーションもグッと広がった。

 

小・中・高時代は仲が良かったのに、今となっては全く会わない友達も年を重ねるにつれて増えた。

 

だからこそ、久しぶりに昔の同級生に会うときはワクワクする。

同窓会とまではいかなくても、何かの拍子で集まろうとなったときに当時の出来事を思い出して、懐かしむ。

そして、今は何をしているのかなとか、変わっているかなとか、色々想像しながら着ていく服を選んだり、メイクを考えたりしちゃう。

 

そうして当日を迎え、思い出話に花を咲かせることは楽しい。

楽しいんだけど、「あれ?案外面白くない、、、」と思ってしまったとき。

また少し寂しくなってしまう。

 

楽しい過去の思い出を共有できているからこそ、現在の状態とのギャップが際立ってしまい、今のこの瞬間から楽しい思い出は生まれないかもしれないと感じつつも、今この瞬間を出来るだけ楽しくしたいと思うとき。

じゃあまたね!っていいながらも、この、また は叶えられることないだろうなって思うとき。

 

 

過去の記憶と実際に今感じている気持ちの差にさみしさを抱いてしまう。

 

 

 

 

 

「別にみんなと仲良くしなくちゃいけないわけでもないし、付き合う人は選ぶ」

「嫌々付き合うことはストレス」

そういう言葉はよく聞くし、実際そうだと思う。

 

他にも「人断捨離」、「人間関係断捨離」とかいう言葉も聞くようになったし、わざわざ自分が心を病んでしまうような、疲れる人間関係に身を置く必要はないと私も思う。

 

それに、私もそれをしている。意識的にも無意識的にも、年々関わる人が少しずつ変わっていっているだろうし、常に流動的な人間関係って確かにある。その変化がとても刺激的で楽しいことでもあるというのもわかる。

 

 

「(人付き合いが)意外とあっさりしてるよね」と友達に言われたことがある。

義理人情に厚い友人にそういわれて、あぁ私も選んでいたんだなと気が付いた。今はない関係性にさみしさを感じているくせに、私はこの子ほど人情味もないし、ドライな関係ばかりで自分勝手だなぁとも思った。

 

勿論わたしも、(言い方嫌いだけど)言葉を借りると、断捨離されている側だろうし。

過去の人間関係や、そこで生まれた思い出がいつまでも新鮮で、不変なことの方が珍しいだろう。

 

そうなんよね、それが当たり前なんよね、と思いつつも、やっぱりさみしいなという感覚がうっすらとあるのもまた事実だし。

 

 

私が変わったのか、あなたが変わったのか

どちらも変わったのか、誰が変わったのか

ねぇ、どうなの? (と、ここまで書くとキモいけど、My Hair is bad っぽいですね…)

 

 

 

 

だけど、まぁその、どうなのって話なんだけど、さみしいと思うことばかりでもなくてその逆もある。

昔全然仲良くなかったのに、久しぶりに話したらめちゃくちゃ楽しいみたいなね。

ちょうど最近そういうことがあって面白かった。そういうのは嬉しいよね。

 

 

 

 

これから社会に出て、住む場所もすることも変わって、新しく、多くの人と出会うことはとても楽しみ。知らなかった世界をたくさん知ることが出来るようになるだろうし、色んな人と共通の思い出が沢山できるだろう。

だけど、同時に、過去の思い出でしか感じられない楽しさも増えるんだろうなとおもう。それを合理的に仕方がないことだと割り切るのも楽かもしれないけど、正直な感覚も無理して無視せずに過ごしてもいいよね。

 

 

 

 

 

木の屋 金華さば 彩 味噌煮 缶詰 170g

木の屋 金華さば 彩 味噌煮 缶詰 170g

 

 

ちなみに好きな食べ物ランキング1位は、未だ不動の「サバの味噌煮」です。拍手~!

あぁお前もいつか1位の座を明け渡す日が来るかもしれないのか??毎回の安定の感動は過去の話になってしまうのか?

 

上にあるサバ缶は、ブランド鯖を使った秋から冬の期間限定生産らしいんだけど、マツコの知らない世界で紹介されて以降品薄…。あー食べたい、、、、

 

 

 

 

スタバでMacを開くのくらい許して欲しいし楽しませて欲しい

 

 

 

 

友達との約束までの微妙な空き時間、午後四時にスタバでパソコンを開いた。

 

 

残念ながらMacBookではない。大学一年次に何もわからず流されるままに購入した大学生協パソコン。dynabook。今までに3回も修理をし、3万円ほど費やしたのに画面部分が自立しないという不都合を抱えている重たいパソコン。

あぁmac bookが欲しい。できれば軽いの。Airかな、Mac book Air かな。

 

 

スタバでMac book、横にはチャイティーラテ。デキる。

スタバなのにチャイを頼んでしまうあたり、王道のコーヒーでもなく、ミーハーの頼む何かしらのフラペチーノでもない敢えてのチャイ。そこも込み込みでデキる感がある。そしてチャイティーラテ(ホット)(たまにシナモンの粉とかもかけちゃう)は本当にスタバでいちばん好きなメニューで、ここで言いたいがためのネタではないあたりもこみ込みで完全にデキる私がそこにはいる。

 

 

かつてはスタバでMacを開くことを揶揄する文化があった。

私の中にもかつてはあったが、今では何とも思わない。人って成長するんだな。

自分が成長しているか不安な人はまずスタバでMacを揶揄してしまうかしないかを1つの成長のものさしにしたらいいね。非常にわかりやすい。

 

だってスタバ便利だし。今やスタバではない気軽に入れて確実にwi-fiがあるカフェを手軽に見つけることの方が難しい。そしてメニューが幅広く、大抵美味しい。

コーヒーなんてまるで詳しくないのに、いや、詳しくないからこそ、数少ないメニューとにらめっこをした末に手違いでエスプレッソを頼んでしまい

(は?エスプレッソ???ってちっさ!!!!いや小さすぎやろ、エスプレッソってコーヒーの仲間やないんかい!!これコーヒーについてくるミルクレベルの小ささやんははほはわろたwwwwwwwww)

を必死で押し殺し、 ふむ、実にコクと深みのある香りだ。さて、ここのエスプレッソはどうエスプレッソしているかな なんて考えてそうな渋めの表情をしながら目の前に置かれた一口サイズのエスプレッソとどう時を過ごそうか悩ませることに時間を割く必要もなくなる。

 

 

そしてMacは使いやすい。

少なくともこの私の画面が自立せず、キーボードと画面が作る角度がどんどん開いていくような、放っておけば角度160度とかになるようなダイナミックな角度拡張が特徴的なダイナブックよりも。

 

 

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そう、スタバでMacは実に効率的なのである。

 

 

 

 

 

 

 

しかし揶揄こそしないものの、前述した通り、スタバでパソコンを開き仕事のような何かに真剣な顔で向き合うのはデキる人の行為でかっこいい行為という前提はしっかりと私の中に刷り込まれ、今でもそれは変わらない。

 

そのため、スタバでパソコンを広げる行為は効率的で最善でそこに他意は本来はないはず。なのにデキる風にしなければならないという想いに駆られ、気付いたら精一杯のデキる感を精一杯出さないようにしながら演出してしまっている。

 

 

 

 

デキる感、とはなにか。

まずは掻き上げ前髪である。できる女とは、前髪を掻き上げる。できる女とは、中村アンなのである。

そのため、私の場合は掻き上げるほど長くない前髪をまるで「そういうスタイリング」であるかのように必死で流す。要は気持ちが大切なので、まずは形から入った方がいい。

 

そして、真剣な表情をする。これは誰でもできる。真剣な中村アンになればいいだけだ。

 

そして、たまに少し疲れた表情で宙を見上げる。その直後にスケジュール帳を広げ急に手元を忙しくする。そのまま電話をかけてもいい。

もちろんこの間も前髪を掻き上げることを怠ってはならない。どんなときにも掻き上げることが最も「できる」をつくる要素になるからである。

 

 

大抵この3ステップを踏めばできる感はつくれる。

掻き上げを常に行い、真剣な表情をしたと思ったら宙を見上げ少しばかりの弱さを感じさせる疲れた顔をし、それとほぼ同時に急に思い出したかのような顔でバックからスケジュール帳を慌てて出し、とにかく手元を忙しくしつつ誰かに電話を掛ける中村アンになればいい。ヒールに白シャツとか服装にも拘れば尚それっぽい。

「カワイイ」よりもよっぽど簡単につくれるのは「デキる感」である。

 

 

 

 

そしてこの見せかけのデキるをまとった私は、その瞬間は完全にデキるのである。

ふと我に返ったとき、作業を辞めてLINEを開いたとき、イヤホンから流れる音楽を変更するとき、その瞬間にやっと「デキる私」を笑えるようになる。

 

 

 

 

 

他にも似たような瞬間はあらゆる場面である。

 

私は東京によく行く。そのたびにイベントを探す。

そして福岡では行けないおしゃれなポップアップショップを見に行くとき、「いかにもこういう場に行き慣れているこなれた奴」感を出す。個性的な身なりの店員さんとも友達かのようにガンガン話してしまう。そうでもしないと話せない。

 

 

京都にも先月行った。そこで何故かいい感じの図書館に行ったのだけど、しかも意味が分からないが観光をそっちのけに3時間も滞在したのだけど、「普段から行き慣れた図書館でいつも通り難しめの本を集中して読む勤勉な学生」感をだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、隣、いいですか?」

 

襟付きのシャツを着た細身の彼は遠慮がちにそう言った。

イヤホンをしていて全く人の気配に気が付かなかった私は思わず自分の声のボリューム調節を忘れてしまい、大きな声で「はい」と答えた。

左隣のおじさんが眉を潜めてこちらを見る。

 

 

くすっと笑いながら隣に腰かけた彼は

「ぼくもそれ、読みました。面白いですよね。」

と、先程よりも人懐っこい声でそういいながら私の左手のそばにある小説を指さす。

 

疲れて読むのを放棄してしまったなんて言えずにうんうんと頷く私に、こう続ける。

「撲、毎日ここ来ているんですけど、全然若い人いないからなんだか嬉しいです。大学生で暇だし、ここって川も近いし、館内にカフェもあるじゃないですか。家も近いんですよね。いい場所にあるから好きなんです。」

 

「私も、私も大学生で、暇で。」

 

「えっ!そうかなって思ったんですよ。よかった、ここで友達できるとは思わなかったです。」

無自覚に声のトーンが上がったことに気付いたのか、少し顔が赤くなった。

「いや、勇気出して聞いてみるものですね。良かった。

あっ話し過ぎですね、僕。ごめんなさい。」

 

 

どうやら彼は、緊張したときや照れたときはシャツの第2ボタンを触るクセがあるらしい。

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

のようなエピソードは全くなく、誰とも会話せずにただひたすら黙々と京都で読書をしただけだったが、とにかく「そういう学生感」を出した。

(主演俳優は神木隆之介、もしくは若い加瀬亮。)

 

 

 

 

 

 

 

 

福岡だったら、自分のよく知っている土地だったら、自分の知る人ばかりに囲まれていたら、そうだったらとても恥ずかしくてできないことが知らない土地ではできる。

 

いつもと違う日常をまるでいつものかのように送ることが出来るのが旅行の楽しみの一つだと最近思うようになった。まあ一人旅行に限るのだけど。

 

 

「」内の人物として無自覚に息をする中で、ふとそこから抜け出して空から見たときの非常に快感なことたるや。ニヤけてしまうecstasy。神様って楽しそう。

 

 

 

あのイカしたサラリーマンの持つパソコンの画面は実はYouTubeで、ただのつくったデキる感を見にまとっているだけかもなとか。

あのタバコをふかす気怠げな美人のお姉さんも擦れることなく今まできたことをどこか後悔してわかりやすくタバコに手をつけたのかなとか。

みんなもわたしと同じなのかなとか。

 

 

 

 

 

 

世の中を自分の見たいように見るなという話を最近聞いたが、うるせえな、自分の世界くらい好きなように見させてくれよって感じだ。

どう考えても特に何もデキないわたしだって、スタバにいるときくらいは、そこでパソコンを開くときくらいは、デキる人間でいさせてくれよ。

スタバでパソコンする奴はみんなデキるし、タバコをふかす気怠げな美女はみんな少し寂しいしそれでいい。

1時間半くらい、そうであって欲しい世界を楽しませて欲しい。

 

 

 

 

 

Apple MacBook Air (13.3/1.6GHz Dual Core i5/8GB/128GB/802.11ac/USB3/Thunderbolt2) MMGF2J/A

 

 

 

というわけで、もしスタバでわたしを見かけたらそっとMac Bookをプレゼントしてください♡

 

 

 

 

全ての女性に告ぐ。白い服を着用する際は透け感の無駄遣いに注意してください。

 

夏が終わる。 


いや、とっくに終わっていたのか?

この時期、半袖着てる奴もいればもうニット着てる奴もいて、いやニットは流石に早すぎだろwwwなんて思うけど今の世の中インスタグラマーには何を言っても敵わないし、最近特に可愛い藤田ニコルも既にニットを着ておりましたので黙って秋の新作ニットを購入して着ましょう。


かく言う私もニット好きです。
と言うかあまり夏が好きではないのでもう夏が終わっただけで嬉しい。

 

夏、暑いし、こう見えて服がちょっと好きなんだけど夏って可愛い服の重ね着とかあんまりできない。あとBUMP OF CHICKEN藤原基央が冬が好きだと昔言っていたので、その冬と対極にあるような夏はそんなに好きじゃないんだな。

 

 

知ってますか?

 

藤原基央ってダッフルコートが好きなんですよ。その華奢な身体に何枚も重ね着をして、最後にダッフルコートを着る。トグルボタンは全て閉じる。そうして寒空の下に出るのが、なんか良くないですか?みたいなことをいつかのなにかで言ってた気がする。良いですうつうううう!!!れ!

 

いやもうソースぜんっぜん思い出せないんだけど。恐らくポンツカ(ラジオ)か雑誌かなんかそういうので言ってた。
にしてもトグルボタンだなんて単語、藤原基央が好きじゃなかったら知らなかったよ。本当に彼はあらゆる事を私に教えてくれた…愛。この前のツアー初日最高だったよ…だいすき…。
 
最近は藤原基央のダッフルコートよりもジャケットを着る姿をよく見る。メディアへの露出が多くなるにつれ、着ている服の値段は上がるし、チャマ*1のMCはやや痛くなっていく。
昔の絶妙にダサい服の藤原基央も今の洒落た藤原基央も勿論どちらも大好きだけど、まだ藤原基央は冬が好きなのだろうか。フェスとか出るようなったし好きかもしれない…いや全然いいんだよ、もし藤原基央が夏が大好きになっていたとしても、私はしばらく夏がそんなに好きではないと思う。

 

 

 

話が大幅に逸れたが、夏は暑いのでシンプルな服装をする場合が多いだろう。
ティシャツにデニム、みたいなシンプルイズベストの王国が至る所に建国される。

 

あと露出が増える。暑いからしょうがない。

が、もう私はこの露出がもう、気になって気になって気になってしょうがない。いつから私はお母さんになったのでしょうか。何故見知らぬ女の子の露出を気にしているのでしょうか。

 

 

まず今年大流行だったオフショル。可愛い。

肩幅10センチくらい削らないと着られない身としては猛烈な可愛さを覚える。

 

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オフショル。主に名古屋で活動されている中村くるみさんというモデルさんのInstagramより。鎖骨がいい。可愛い子を載せると数字がとれるので載せていきます。

 

 


ただ首から下、腰から上の胴体の三分の一くらい露出していると考えればかなりワーオな感じに思える。

あれは一体どういう過程で生み出された衣服なのだろうか。生半可なoffではない、肩全てがoffしている。襟ぐりの設計ミスか?何の気なしにショルダーをoff してみたら予想外にただ可愛くて少し刺激的なデザインになったからGOしたのか?

 


よくわからないけれどとにかく今年は流行った。

オフショルブラウス、オフショルワンピ、オフショルシャツ、オフショルビキニ、オフショルニット、オフショルドレス…Instagram側もオフショルに追われて大忙しだったとおもう。

 

そんな流行りなデザインに惹かれて着用。結果、無邪気にひたすら可愛さを増している女の子、もしくは、は?ティシャツですけど?みたいな強気な顔で着用している女の子、ハイハイめっちゃ可愛い。

 

ただね、たまにガチブラ紐じゃない??と気付いてしまう紐が見えてる方がいらっしゃり、こちとら結構困惑するわけです。首元緩めの服着ている時に見えるやつ、あれは凡ミスとして、いやいや流石にオフショルはわかるだろ!オフ・ショルダー。オフだから、肩から外れてるから。肩という概念は何処へ。

 

あれ、アレだからちょっと気をつけて欲しいなあ。あれ、お母さん気になる。

ピンクとか派手なのも気になるし、かといって白黒とか普通ぽいのも逆に気になる。紐だけ付け替え出来る下着は透明な紐と付け替えると目立たないから、そういうのにしたらいいと思うなあ。

 

とはいえ個人的にはこの透明な紐もどういう気持ちで見たらいいか未だ分からないまま。透明だし、目立たないし、いいでしょ?ってそれはわかるし、気を遣っているのもわかるし。

でもどうしても、いや、わかるんだ、その先には、、、下着が繋がっているのが、、分かってしまうんだ…と私の中の思春期男子中学生がどうも落ち着かないんだよねえ。

 

彼を思うと、私的には見えるよりもチューブトップとかそういうものを着用して欲しい。

 

 

(※ただしアイドルは可というマイルール有り)

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渡辺麻友twitterより。右のたなみんこと田名部生来に注目。アイドルの透明ブラ紐については何故か特に何も思わない。

 

 

 

 

 

 

 

あと、透け感。これも気になる。
いや普通の透け感はめっちゃいい。夏って服の色も爽やかなのが増えていいよね。白とか水色とか。素材も涼しげなオーガンジーや麻のようなものが増える。

 

いちばん外側のひらひらしているのがオーガンジー。 

 

 

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みんな大好き久慈ぱんのInstagramより。女子アナはそもそも高い服を着ているので透けないと思うが、こう言う見た目のパステルカラーとか白ボトムとか増えるよね。

 

 


ただ稀にある行き過ぎた透け感、これ結構気になる。

 

白のデニムとかヒラヒラしたスカートとか、あれ結っっ構下着透けてて、もうかなり気になる。あれ多分気づけてないんだよね。

デニムなんかオーガンジーに比べたらだいぶ厚い素材だから、油断してしまうよね。まさかデニムで透けるとは思わないよね。ヒラヒラしたスカートも前から見たらあまり透けているように見えないからな。デニムもヒラヒラスカートも透けているのがわかるのは後ろから見たとき。前からみても下着の面積少ないしわかり辛い。

街中に出るとこの透け被害に無意識に遭っている女性を多く目にしてしまう。ああぁ、今日もまた犠牲者が…。

 


ほらスカート捲れているとかならこっそり教えられるけど、透けてるのは言えなくないですか。伝えたほうがいいかなとか思っていっっつも無駄に目で追ってしまうんですけど。あれ教えていいのかな?女同士だったらこっそり言えば大丈夫?え、怖…てなんない?

てか隣にいる友達教えてやれよ。気付いてくれよ。なんで見ず知らずの私がこんなにヒヤヒヤしてて友達が気付いてやらないんだよ。

 


服買うとき洗濯とかの注意書きあるけど、あれと一緒に「透けます!注意!!」的なタグつけた方がいいのでは??それで透け防止のインナーとかと一緒におススメしたら店的にもよくない!?

売る方ももう少し責任もって欲しい。もうアパレルのお姉さんしか教えてあげられる他人はいないんです。

 


そうなんだよ、白い服は透ける。

この前提が世の中には浸透してなさすぎる。この下着無意識透け透け現象の進行を止めるためにも、まずはこの世界中に溢れる服は意外と簡単に下着が透けるという揺るぎない事実を知ってもらう必要がある。

 

 

勿体無い。悔しくなってきました。透け感ってもっともっと綺麗なものだよ。

華奢で柔らかい女の子の儚さをより引き立ててくれる素敵なポイントでもあるし、爽やかな色合いをみるだけで涼しくなったような気がするし。

なんでこんなところで無駄遣いされているのか。世の中から透け感の無駄遣いをなくし、その節約された透け感をもっと純粋な透け感の方に回して欲しい。

 

 


もう繁華街を歩くとすごい気になる。昨日も見た。

百歩譲って同い年とか歳上くらいならまだアチャー!くらいで終われるけど、高校生とか中学生とかの幼い子みたらオロオロしてしまう。 あああ〜透けてる…見えてる…ああああああああタピオカ飲んでる場合じゃねえよ今すぐピーチジョン*2にでも行ってくれ目の前の天神コア*3に入っているから!!!パルコ*4にもチュチュアンナ*5あるから!!!てんちか*6にもいくつか店あるから!!!

 

 

 

わかってくれたらいいんだ、お母さんからの切なるお願いです。

 

 

 

 

*1:BUMP OF CHICKENのベース。「BUMP OF CHICKENのベース担当、金髪担当、おしゃべり担当、グッズ担当、ツイッター担当」とライブMCで自己紹介する。

*2:紙袋が派手で避けていたけど行ってみたら普通だったあの店。ピンクと黒のストライプという攻めた柄の紙袋を見ると照れてしまう。

*3:攻めたBGMをかけがちの福岡天神ど真ん中にある、10代向けファッションビル

*4:大好き。本館だと2階と5階が特に。新館は少し洗練された雰囲気で客層も年齢少し上がる。

*5:パルコ本館6階。靴下が3足1080円で買える。

*6:以前紹介したBAKEとRINGOもある天神地下街。個人的にはてんちかのお店だとune nana coolが好きです

満員電車内における後出しジャンケン「ちょっと!あそこ空いてんで!!!!早よ来いや!!!」に関する一考察

 

 

福岡だと中々そこまで満員の電車に乗る機会がないのだけど、というか私は生粋の西鉄バスヘビーユーザーなのでそもそも電車にほとんど乗らないのだけど、この前東京、大阪辺りに行ってきてその満員電車に乗る機会が多くあったわけです。


まぁ疲れていたら普通に座りたいじゃないですか。だから席が空いていたら自然とまぁそちらに足を運びますよね。フゥ〜〜ラッキーだ、満員電車なのに運良くオアシスを見つけちまったな〜〜なんて思いながら、でも真顔で、空席までの最短ルートで進むわけですよ。

 

そりゃあ空席が一つとか二つとか、数少ないとそこに向かうまでに誰かが座るかもしれないし、足腰の強さをとったら何が残るかといえばそれなりの愛嬌しか残らない私よりも小さい子とか足腰が弱めな方が乗った方が空席的にもいいかなとか思って遠慮しますけどね。

でも、たまに運良く席が一列くらい空くとき、あのときはオッシャ〜と思いながら早足で、なんならスキップくらいの気持ちで空席に向かうわけです。

 

 

だけど結構人って同じこと考えるんですよね、わたし以外の人もスキップしてるんですよ。わたしにはわかるんですよね、もう足取りが軽いんですよね。

 

さっきまで死んだ目でスマホいじってたおじさんがチラッと空席を見て小躍りしてるのがわかるんですよね。

余裕のある暮らし、してますけど?シンプルイズ、ベストですけど?みたいな顔した綺麗なお姉さんの余裕のなさが漏れ出てるんですよね。

もう空席の一列に送られる念がすごいのがムンムン伝わるし、もう空席側も準備万端だって目配せしてきてるのがわかる。隠しきれてない。

 

 

 

 

 


ドアが開く。

 

電車内の人が吐き出され、一列のオアシスが現るその瞬間に、同じ目的地に向けて確かに歩む仲間が、ライバルが、同胞が、微かに光る一筋の道を辿るーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

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「ちょっと!あそこ空いてんで!!!!早よ来いや!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーー確かに我々は光を追っていた。


僅かだけれども、確かにそこには存在していた。


理不尽な社会の中懸命に生き、人波に揉まれながらも一歩一歩踏みしめてきた。
たった20分、短い時間だと君は笑うかもしれない。

だけど、僕らはそれで十分だったんだ。都会の焦燥の中にひっそりと存在する小さな安らぎを大切にしてきた。ただそれだけのことだった。それ以上のことは望まない。それだけでまた明日も頑張ろうと思える。明日も笑おうと思える。そのはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと!あそこ空いてんで!!!!早よ来いや!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

オ、あの席座れるな〜♪なんて思ってたときにこれ後出しですよ。もう絶対座れない。
最短ルートを早足で進んでいたのに急ブレーキ。疲れているときほど、期待が大きいほど、刺客からのダメージを受けてしまう。

けれどもそんな時も頑張れわたし頑張れ今日も。頑張れみんな頑張れ明日も。西野カナが励ましてくれる。そうだよねカロリー消費だよね、そうだよねわたしの取り柄は足腰の強さだよね。

 


ライバルよ、仲間よ、同胞よ、また会おう。

 

 

 

 

お洒落なおばあさんの仮装をしたババアが隣に座ってきた話

 

 

東京から大阪に向かう新幹線、午前9時。

指定席の3人がけの席の真ん中はよく空いているのだけど、その例に漏れず私の座る窓側の席の右隣も空っぽだった。遠慮なく両肘をひざ掛けに乗せてリラックスしていたところ、途中から60代くらいのベレー帽の女性が腰掛けた為、右の肘掛から肘を外してさあお婆さんどうぞと迎え入れる体勢をとった。

 

両肘を置けなくなったところで飛行機に比べると広々した座席の新幹線、特に不満もなく座っていた。

 

ベレー帽のおばあさんが座ってから4分後、車掌さんらしき人におばあさんが何か言っている。

 

 

 

「わたし、ここの席じゃないんです」

 

 

 

 

おっと、席がわからないまま新幹線が動いてしまったから下手に動くよりも車掌さんに聞こうと思ってここに座った、そういうことなのかと予想していた。

 

 

「わたし、本当はこれに乗りたかったの、だけど聞いても最後まで教えてくれなかったからわからなくて結局乗れなかったの」

 

「乗り場まで教えてくれなかったからわからなかったの、本当はこれに乗る予定だったのよ」

 

 

 

どうやらおばあさんは乗る予定の電車に乗れず、代わりにこの電車に乗ったそう。

 

 

「それでは、自由席の方にご案内しますね」

 

 

指定席特急券を購入し直すよりこのまま乗って目的地まで行く方がいいので、という説明を付け加えながら案内しようとする係員さん。

 

そうするとまたおばあさんは乗れなかった理由を説明し始める。

 

「聞いたのに最後まで教えてくれなかったのよ」

 

 

最初はベレー帽なんか被ってお洒落なおばあさんだなあなんて思っていたけれど、この会話を聞くうちにもう頑固なベレーババアとしか思えなくなってしまった。

 

 

係員の方はもう移動は難しいと判断したのか、わたしの隣が空いているか確認した後、次回からは気をつけてくださいと念押しして去って行った。

 

 

右の席を埋めるついでに言い様のないモヤモヤもわたしの心を埋める。

特に不便はないし、わたしは何をされたわけでもないのに、さっきの会話を聞いてしまったばかりに少し不便に感じる上、軽く怒りも感じてしまう。

通路側に座っているお兄さんはイヤホンなんか呑気にしているからこの会話を聞いていないのかもしれない。音楽を少し止めてこの気持ちを共有してくれよと言いたい。

 

 

このベレーババアは、あらゆる場面でこういうワガママな振る舞いをしてきて、それで自分の思い通りになってきたからなんの疑いようもなく今回も同じ振る舞いをしたのかもしれない。

 

いや、そもそもワガママだと認知していなくて、当たり前に自分は被害者だからこの先に座るのが当然だと思っているのかもしれない。

 

 

だんだんわからなくなってきたけれど、もしかしたら本当にベレーババアは被害者かもしれないし、単にわたしが心が狭いだけかもしれない。

 

あのベレー帽のおばあさん aka.ベレーババアの行動は普通のことなのかもしれない。は?普通とは???常識とは?????

わたしの常識もわたしの普通もわたしの世界の中での話にすぎないし、ベレーババアの普通が世の中的にも普通なのかもしれない。

 

 

私は特に迷惑を被っているわけでもないのに、勝手にモヤモヤを抱え、勝手に係員さんの心労を気にし、勝手にこの気持ちのやり場を作る為に文章を書いている。

 

わたしにとってはあの係員とお洒落なおばあさんの仮装をしたベレーババアのやりとりは聞きたくなかった嫌いなものだったけれども、他の人にとっては特に気にならない会話だったのかもしれない。

 

わたしももし違う席であの会話を聞いていたら、特に何も思わず「色んな人がいるからな」の一言で済ませられたのかもしれない。

 

 

 

ベレー帽をかぶってフランス語の本を読むおばあさん、素直に係員の方と会話していたらあなたのことをババアだなんて思わなかったのになぁ、残念だな。

こんなことでババアだなんて思ってしまうわたしも本当に器が小さい。どうにかしてほしい。多分お猪口くらいの広さ。多分これから日本酒を飲む度に親近感がわくと思う。嫌なことは全て酔っ払って忘れよう。大阪の酒は多分美味しいよね。

 

 

 

 

今日も飲もうと決めた矢先、ババアは京都で降りた。

降りた瞬間スッキリした為、相変わらず器も心も狭いながらに今日はいい日になりそうです。