MMオフィシャルブログ

大学生。福岡在住。よろしくお願いします。

世の中クソ、東京はクソ

 

「世の中みんなクソな奴ばっかだよ」

 

わたしがいつも東京に行くときに泊めてくれる幼馴染の友人はそういう。

 

本当かな

わたしも上京して働きだしたら、そうおもうのかな

 

「結局どいつもこいつも自分のことしか考えてないってこっちにくるとわかるよ」 

 

そういいながらも彼女は東京で強く逞しく、明るく生きている。かっこいいとおもう。

 

 

彼女とは幼稚園から中学まで一緒で、高校以降は別々の学校に進学した。

家も近く、親同士も交流がある幼馴染だ。

 

彼女は一年前から上京してきて、一人暮らしをしながら、しっかり働いている。

泊まらせてもらうときも、日付を越えて帰って来ることがザラにある。

 

モデル並みの容姿(本当に可愛くて、いつもガン見するし写真も撮る)に華奢な身体からは想像がつかないくらい逞しく生きていて、彼女を見るとわたしはまだまだ甘えているなぁと思わされる。

 

そんな彼女から「クソな奴」のエピソードを聞いても具体的にイメージしづらいし、どこか「私とは交わることのない人たちの話」とおもってしまう。

それは、私が今までたまたま人に恵まれた環境にいられたからかもしれない。

彼女の属するようなコミュニティとは今まで深く関わることがなかったからかもしれない。

 

 

だけど、社会にはその「クソな奴」がいるのは事実だろうし、彼女の話によるとその「クソな奴」は東京には少なくない数いるらしい。

 

私が生きている世界の人たちは全体で見ると少数派で、私は実はすごく狭い世界に生きているのかもしれないとハッとさせられる。

 

 

 

就活を通して、「社会に対してしたいこと」や「なりたい姿」を小さい頭で考え、言語化してきた。(ちなみに本当に私は頭が小さい)

就活生なら誰もがしているであろう自己分析をして、多くの社会人と話して、考えてきた。

 

でも、ふとした瞬間に自分の言っていることは現実から乖離しているのではないかと感じることがある。

そもそも社会ってなんだ、みんな何を考えて生きているんだっておもうことがしょっちゅうだ。

 

 だけど、彼女と話していておもうことは

これからも彼女が強く逞しく生きていられるように励まし合いたいということ、彼女がちょっと疲れたときに「お疲れ」って声をかけてあげられる友人でありたいということ。

そしてそれが彼女にとって少しでも楽になることであればとても嬉しいということだ。

 

加えて、

「意外と世の中捨てたもんじゃないな」と「クソな奴」に辟易している彼女に感じてもらうためにも、もっと居心地の良い人の居場所になるところを増やしたい。

 

 

それは彼女以外の人にも居心地の良い場所になる可能性があって、彼女の延長線上に社会があるんだとおもう。

 

 

 

私はどうしても、社会に対して〇〇したいと考えるとき、「社会」が抽象的になる。

 

 特に就活中の今、それまでのように自由に行動することから少し離れてしまっていて、誰のためになにをしたいのか、の「誰の」ところがぼんやりしてしまっている気がする。

具体的な顔が想像できないから、自分は口だけのすごく大きいことを言っているんじゃないかとおもうことがある。

 

 

 

だけど

例えば、彼女のための居場所をもっともっとつくっていきたいとおもうことが、

社会に対してしたいことの大きな動機になる。

 

そう確認できた東京での4日間でした。

 

 

ちなみに

初めて飛行機を乗り遅れてしまったけれど、ジェットスターなら3000円で次の空いてる便に乗れるんだね、、良かった。

まだまだ世の中捨てたもんじゃないね〜!