MMオフィシャルブログ

全てフィクションです

スタバでMacを開くのくらい許して欲しいし楽しませて欲しい

 

友達との約束までの微妙な空き時間、午後四時にスタバでパソコンを開いた。

 

残念ながらMacBookではない。大学一年次に何もわからず流されるままに購入した大学生協パソコン。dynabook。今までに3回も修理をし、3万円ほど費やしたのに画面部分が自立しないという不都合を抱えている重たいパソコン。

あぁmac bookが欲しい。できれば軽いの。Airかな、Mac book Air かな。

 

スタバでMac book、横にはチャイティーラテ。デキる。

スタバなのにチャイを頼んでしまうあたり、王道のコーヒーでもなく、ミーハーの頼む何かしらのフラペチーノでもない敢えてのチャイ。そこも込み込みでデキる感がある。そしてチャイティーラテ(ホット)(たまにシナモンの粉とかもかけちゃう)は本当にスタバでいちばん好きなメニューで、ここで言いたいがためのネタではないあたりもこみ込みで完全にデキる私がそこにはいる。

 

かつてはスタバでMacを開くことを揶揄する文化があった。私の中にもかつてはあったが、今では何とも思わない。人って成長するんだな。

自分が成長しているか不安な人はまずスタバでMacを揶揄してしまうかしないかを1つの成長のものさしにしたらいいね。非常にわかりやすい。

だってスタバ便利だし。今やスタバではない気軽に入れて確実にwi-fiがあるカフェを手軽に見つけることの方が難しい。そしてメニューが幅広く、大抵美味しい。

コーヒーなんてまるで詳しくないのに、いや、詳しくないからこそ、数少ないメニューとにらめっこをした末に手違いでエスプレッソを頼んでしまい、(は?エスプレッソ???ってちっさ!!!!いや小さすぎやろ、エスプレッソってコーヒーの仲間やないんかい!!これコーヒーについてくるミルクレベルの小ささやんわろたwwwwwwwww)を必死で押し殺し、 ふむ、実にコクと深みのある香りだ。さて、ここのエスプレッソはどうエスプレッソしているかな なんて考えてそうな渋めの表情をしながら目の前に置かれた一口サイズのエスプレッソとどう時を過ごそうか悩ませることに時間を割く必要もなくなる。

 

そしてMacは使いやすい。

少なくともこの私の画面が自立せず、キーボードと画面が作る角度がどんどん開いていくような、放っておけば角度160度とかになるようなダイナミックな角度拡張が特徴的なダイナブックよりも。

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そう、スタバでMacは実に効率的なのである。

 

しかし揶揄こそしないものの、前述した通り、スタバでパソコンを開き仕事のような何かに真剣な顔で向き合うのはデキる人の行為でかっこいい行為という前提はしっかりと私の中に刷り込まれ、今でもそれは変わらない。

そのため、スタバでパソコンを広げる行為は効率的で最善でそこに他意は本来はないはず。なのにデキる風にしなければならないという想いに駆られ、気付いたら精一杯のデキる感を精一杯出さないようにしながら演出してしまっている。

 

デキる感、とはなにか。

まずは掻き上げ前髪である。できる女とは、前髪を掻き上げる。できる女とは、中村アンなのである。

そのため、私の場合は掻き上げるほど長くない前髪をまるで「そういうスタイリング」であるかのように必死で流す。要は気持ちが大切なので、まずは形から入った方がいい。

そして、真剣な表情をする。これは誰でもできる。真剣な中村アンになればいいだけだ。

そして、たまに少し疲れた表情で宙を見上げる。その直後にスケジュール帳を広げ急に手元を忙しくする。そのまま電話をかけてもいい。

もちろんこの間も前髪を掻き上げることを怠ってはならない。どんなときにも掻き上げることが最も「できる」をつくる要素になるからである。

 

大抵この3ステップを踏めばできる感はつくれる。

掻き上げを常に行い、真剣な表情をしたと思ったら宙を見上げ少しばかりの弱さを感じさせる疲れた顔をし、それとほぼ同時に急に思い出したかのような顔でバックからスケジュール帳を慌てて出し、とにかく手元を忙しくしつつ誰かに電話を掛ける中村アンになればいい。ヒールに白シャツとか服装にも拘れば尚それっぽい。

「カワイイ」よりもよっぽど簡単につくれるのは「デキる感」である。

 

そしてこの見せかけのデキるをまとった私は、その瞬間は完全にデキるのである。

ふと我に返ったとき、作業を辞めてLINEを開いたとき、イヤホンから流れる音楽を変更するとき、その瞬間にやっと「デキる私」を笑えるようになる。

 

他にも似たような瞬間はあらゆる場面である。

私は東京によく行く。そのたびにイベントを探す。

そして福岡では行けないおしゃれなポップアップショップを見に行くとき、「いかにもこういう場に行き慣れているこなれた奴」感を出す。個性的な身なりの店員さんとも友達かのようにガンガン話してしまう。そうでもしないと話せない。

京都にも先月行った。そこで何故かいい感じの図書館に行ったのだけど、しかも意味が分からないが観光をそっちのけに3時間も滞在したのだけど、「普段から行き慣れた図書館でいつも通り難しめの本を集中して読む勤勉な学生」感をだした。

 

 

 

「あの、隣、いいですか?」

 

襟付きのシャツを着た細身の彼は遠慮がちにそう言った。

イヤホンをしていて全く人の気配に気が付かなかった私は思わず自分の声のボリューム調節を忘れてしまい、大きな声で「はい」と答えた。

左隣のおじさんが眉を潜めてこちらを見る。

 

くすっと笑いながら隣に腰かけた彼は

「ぼくもそれ、読みました。面白いですよね。」

と、先程よりも人懐っこい声でそういいながら私の左手のそばにある小説を指さす。

疲れて読むのを放棄してしまったなんて言えずにうんうんと頷く私に、こう続ける。

「僕、毎日ここ来ているんですけど、全然若い人いないからなんだか嬉しいです。大学生で暇だし、ここって川も近いし、館内にカフェもあるじゃないですか。家も近いんですよね。いい場所にあるから好きなんです。」

「私も、私も大学生で、暇で。」

「えっ!そうかなって思ったんですよ。よかった、ここで友達できるとは思わなかったです。」

無自覚に声のトーンが上がったことに気付いたのか、少し顔が赤くなった。

「いや、勇気出して聞いてみるものですね。良かった。あっ話し過ぎですね、僕。ごめんなさい。」

 

どうやら彼は、緊張したときや照れたときはシャツの第2ボタンを触るクセがあるらしい。

 

 ……

 

 

 

 

のようなエピソードは全くなく、誰とも会話せずにただひたすら黙々と京都で読書をしただけだったが、とにかく「そういう学生感」を出した。

(主演俳優は神木隆之介、もしくは若い加瀬亮。)

 

福岡だったら、自分のよく知っている土地だったら、自分の知る人ばかりに囲まれていたら、そうだったらとても恥ずかしくてできないことが知らない土地ではできる。

いつもと違う日常をまるでいつものかのように送ることが出来るのが旅行の楽しみの一つだと最近思うようになった。まあ一人旅行に限るのだけど。

「」内の人物として無自覚に息をする中で、ふとそこから抜け出して空から見たときの非常に快感なことたるや。ニヤけてしまうecstasy。神様って楽しそう。

 

あのイカしたサラリーマンの持つパソコンの画面は実はYouTubeで、ただのつくったデキる感を見にまとっているだけかもなとか。

あのタバコをふかす気怠げな美人のお姉さんも擦れることなく今まできたことをどこか後悔してわかりやすくタバコに手をつけたのかなとか。

みんなもわたしと同じなのかなとか。

 

世の中を自分の見たいように見るなという話を最近聞いたが、うるせえな、自分の世界くらい好きなように見させてくれよって感じだ。

どう考えても特に何もデキないわたしだって、スタバにいるときくらいは、そこでパソコンを開くときくらいは、デキる人間でいさせてくれよ。

スタバでパソコンする奴はみんなデキるし、タバコをふかす気怠げな美女はみんな少し寂しいしそれでいい。1時間半くらい、そうであって欲しい世界を楽しませて欲しい。

 

Apple MacBook Air (13.3/1.6GHz Dual Core i5/8GB/128GB/802.11ac/USB3/Thunderbolt2) MMGF2J/A

というわけで、もしスタバでわたしを見かけたらそっとMac Bookをプレゼントしてください♡