君たちはまな板の鯉になったことがあるか
えいっ為るがままよ!と腹をくくって身を任せる経験、まな板の鯉のように天命に従う経験、結構かっこいいエピソードとして語られるものだと思う。
私があと30年くらいすれば「あの頃はもう決死の思いでね…でもなんとかなるもんだよ、人生ね。」なんてちょっと遠い目をしながらそのそれなりにかっこいまな板の鯉エピソードを控えめに話すことになる。そしてそれを聞いた希望に満ち溢れた若者がやっぱすげえ、でも俺は越えてやる、もっといい世界をつくるぞと志を固めていくことになる。賢者は歴史に学ぶ。
とはいえ、今までのまな板の鯉エピソード(以下まな鯉)ってなんだっけなって。この22年間でもまぁまぁあるんじゃないのって考えていた。何かあったときのために用意しといたろ!って、いい感じにまとめといたろ!って思い返してみたけど、何かイマイチで私の人生深み無!!!って思って日が暮れて、朝が来る。そんな生活を送っていた。
でもつい最近やっとわかった。
まな鯉エピソード、私にもあった。
これがまな鯉エピソードかよって自分で言っておきながらやや引いたけど、もうこれしかないなって。
そうですそれは全身脱毛の施術のとき。
病院で使われる診察台みたいなベットにうつ伏せで寝そべるところから全ては始まる。身に纏うのは小学校の時の水泳の授業で使っていたような身体に巻くタオル。端と端をボタンで留めて筒状になったタオルの下には紙パンツ。
パンツといっても逆Tバックみたいな形でもうほぼ何もパンツとしての機能をはたしていない。なにも隠れていない。恥と恥から申し訳程度に身を守ってくれる精神的な支えのためだけに生まれてきた紙パンツがそこにはある。
というかそもそも人は何故パンツを履くのか?気になったので調べてみたらさすがインターネット。先輩方が調査済みでした。
パンツをはく文化が生まれたのは明治時代、洋風ドレスに和風の腰巻が不似合だったから。とはいえそこまでパンツ着用文化は浸透せず、契機は昭和7年に訪れました。
それは白木屋百貨店での火災事故。
デパートでの火災のときはまだ着物の女性がほとんどで 高い階から下の救命ネットに飛び降りるのを 着物がめくれあがるのを躊躇したため 多くの女性が焼死してしまったようです。 これは当時、大和撫子の恥じらいの美徳を世界のメディアにまで知らしめましたが パンツをはく風潮をつくったと言われてます。
らしいです。*1
あれから86年、 もともと恥部を隠して恥じらいを和らげるために誕生したパンツによって逆に恥ずかしめられるという矛盾した状況に陥っているが、生きるとはそういうことである。歴史からなにも学んでいない私は賢者には程遠い。
福岡の5倍以上店舗があるにも関わらず、福岡の3倍以上予約がとりにくい地、東京。
この一億総脱毛社会である東京で働く脱毛のお姉さんたちに時間的余裕はなく、私の恥じらいにお構いなしに施術は始まる。
脱毛の手順は以下になる。
えらく冷たいジェルを塗られ、温かいレーザーを当てられて、ジェルが拭き取られる。
その後ミストをかけられて保湿されるという流れだが、もう一度台の上に乗ってしまったなら身を任せるしかない。
この時点で既にまな鯉度合いが伝わると思うが、特に、VIOラインを施術されるときがひと際―――――私は、鯉になる。
「腰を浮かせてください」
機能面が皆無と言っていい紙パンツをほぼ脱ぐ。お姉さんは有無を言わさぬ手つきでジェルを塗る。
為すすべなし。
為るがままに、在るがままに。
私は、そのパンツに機能性がないとわかっておきながらも、
本当は意味なんてないって知っておきながらも、自ら履いたのだ。
人事は尽した。天命を待つのみーーーーー
それから何時間経ったのだろうか、気が付いたらすべてが終わっていた。
降り注ぐミストによって、ついさっきまでレーザーをあてられていたとは思えないほど潤った全身がそこには広がっていた。
もう、終わったのか
「じゃあハーブティーはフロントでお出ししますね。眩しいので注意してください」
そういって視界を塞いでいたタオルがとられる。
久しぶりに外界の景色をみた。
身体を起こす。
なんとか、、なった、、、、、
全身脱毛を始めて1年ちょっと経つけどおススメですね。
まじで楽になるので。ちなみに私は銀座カラーです。