MMオフィシャルブログ

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とりあえず選ばれ続けるビールと人間関係について

 

「とりあえず生で。」

飲み会で、「とりあえず」という言葉を発するたびに、とりあえずでない生はあるのかしらなんて思う。

だいたいどの場面でもみんなとりあえずビールを頼んでいる。とりあえずでも選ばれ続けるビールが少し羨ましい。

 

お手洗いにと席を立つと同時に、ビールに軽く嫉妬したわたしはGoogleでとりあえずの意味を改めて調べてみる。

「まず第一に」「その場しのぎで」iPhoneの画面に表示されたその言葉を見て、前者の意味に比べると後者のビールはなんだか少しかわいそうで、二番目の女感があるなと思った。熟考して覚悟を決めるには少し余裕がなくて、安パイだという理由で選ばれたビール、そうして発せられた「とりあえず生で」。バチェラーかよ。こういう場合は早々にビールを飲み干し、2杯目にはブドウサワーを頼むに違いない。

 

ちょっとかわいそうなとりあえずに同情しながら席に戻ると、ちょうどドリンクが運ばれてきた。

じゃあお疲れさまでーす。どう、最近は。それぞれの近況報告から始まる。今週3度目の飲み会、社会人になって飲み会が増えた。

大学生の頃は飲み会と言うよりも友達と飲む会が多かったので、飲み会という単語を聞くと勝手にマイナスなイメージを抱くときもあったが、実際はそんなことなかった。嫌な時は断ればいいし、母親譲りでお酒が好きなわたしはそもそもお酒を飲めるだけでプラスなので、仮に飲み会の内容自体をマイナスに感じてもプラマイゼロでマイナスにはならないと気が付いたのであった。

 

「いやーほんと一緒に飲んでもらってごめんね、つき合わせちゃってさぁ。」「いやいや全然、むしろ楽しいですよわたしお酒好きなんで。」「じゃあよく飲むの?」「飲む時はそうですね、週3、4とか?差はありますけどね、ひとりで家で缶ビール飲むときもありますしこうやって友達とか先輩と飲むこともありますし。」「同期同士でもよく飲むの?」「あーだいたい決まったメンバーかもしれません、たまに大人数で飲みますけど。だよね?」「うん年に1.2回くらい集まるんじゃない?」「確かに大人数はそんなにないよねぇなかなか集まる機会は減るよねぇ。」「それに大人数は少し疲れますよね。」「うんうん、3,4人くらいがちゃんと話せるよね。」

 

飲み会のうち10回に3回は、大人数の飲み会は苦手だけど少人数の飲み会はいいよねという会話がある気がする。ちゃんと数えていないけど、多分それくらいな気がする。だいたい会の終盤くらい、いい塩梅に酔っ払ってどうでもいい話をただ楽しくする時間にそういう会話をする気がする。「もうこんな時間か」「じゃあそろそろ行きますか。チェックお願いします。」

多分今日の飲み会は今週初の大人数の飲み会は苦手だけど少人数の飲み会はいいよねで締まった会だ。

あーまだ水曜日だ、あと2日だよ、そんな会話の最中で分かれ道に差し掛かる。「では、わたしはこちらなので、お疲れさまです。」改札を通って、溜まっていたLINEに目を通す。ひとりになると意外と酔ってないなと思う。

 

じゃあなんで世の中に大人数の飲み会があるのか、飲み会の目的も色々あるからだよなぁ。電車でお礼のLINEの送信ボタンを押しながら、目的から逆算しようというビジネス書の一文を思い出す。

 

ちゃんと話せる飲み会とちゃんと話せない飲み会、人数の問題でもあるようだけどそれだけではなく、人間関係の目的の問題でもあるんじゃないかしら。

たとえ少人数であっても、あぁこれは多分わたしと話してないなぁ、わたしの持っている情報を手に入れるための会話なんだなぁなんて思う時がある。それに気がつくとわたしもそういうモードに切り替えて話をする。もしかしたら会話するうちに会話主に興味を持つこともあるかもしれないし、そしたらラッキーだし、とりあえずこの場がうまく回るようにしたい。

わたしを会話の対象とみなして、わたしも相手を会話の対象とみなして、どちらかがなんらかのメリットを感じたらまたなんらかの形で会うことになるし、そうじゃなかったら時間を作って会うことはなくなる。別に違和感はない。交友関係が広くなるとはそういうことでしょ。そこからふとしたきっかけがあって会話の対象Aから例えば山田さんになることもあるし、何があるかわからないし、そういうところに期待している節もある。

 

人間関係の目的なんていう人間味のない言葉をつい先ほど抵抗なく受け入れたくせに、目的なく関係性を築いてもらうことを期待している自分がいることに気がつくと気持ち悪いなと思う。でも20年以上そういう自分と付き合ってきたわけなので、そういう気持ち悪さにも強い嫌悪感を抱かなくなってきた。むしろそういう自分もあっていいじゃんと思うようになった。

嫌いだ、もう無理だ、そう思った時にそれをデメリットとして切っていたら死ぬので、自分とはそういう人間だと納得させる。なんだこいつと自分にがっかりする時もあるけど、だいたい何回か寝たら忘れる。そうやって自分と付き合うことに慣れてきた。付き合い続けて、なんだかんだ自分は自分のことが好きだと自覚できるようになった。

 

そろそろ最寄駅に着く。画面上部の未読通知を0にした後、公式LINEの未読通知の下にある母親からのLINEを見る。午前11時のメッセージに午後11時に返信する。

 

数ヶ月も顔を合わせていないのに淡々とメッセージを送ってきて、メリットとかデメリットとかそんな言葉はメモリ内蔵されていないんだろうなと感じる。人間関係を真面目に営んだ先にはそういう目的のない関係があるのかもしれない。

交友関係が増えて色々な目的の人間関係があることを少しずつ体感するようになるにつれて、本能なのかなんなのか、マイナスな感情が芽生えたとき、もう無理だと思ったときにも敢えて関係を切らないで向き合うことが必要なことだと感じるようになった。

 

そろそろ1日が終わるし、とりあえず明日からは、とりあえず関係を築き続ける努力もしてみることにする。