「」の心身問題
「」こいつの価値はなんなんだ。
以前、仲良くしているデザイナーから教えてもらった。
「知ってる?「」をボーダー(線)で表現することもあるんだよ」
なんということだ。そんなことしなくていいようにカギ括弧と打てば「」が出てくるように世の中は回っている、それが当たり前だと思っていたのに、でてくるカギ括弧は使われずにわざわざ線でカギ括弧がつくられる世界がこの世にあったのだ。
なんということだ。
ほかにも、例えばカーニングなんかもそうで、デフォルトで設定された字と字の間隔は、ときにはよくない間隔だと判断されてわざわざ人の手で調整されるのである。そういうことは常識だと、私はデザインを勉強して初めて知った。
それなら最初っから最も良い間隔が調整されるように、誰かすごい人がそういうシステムをつくればいいじゃない!なんておもう。
わざわざ自分たちで通常はこのシステムで世の中回るように、例えば、「ここのボタンを押せばこのタイプのカギ括弧が出てくる仕様にしましょう。」なんて決めたにも拘らず、それじゃあダメだということで最初の決まりが機能しないときもあるだなんて。
そして、そういう状況で、じゃあここでの「」はボーダーで代替しましょう!じゃあここでの字と字の間はこれでいきましょう!と微修正されるのが当たり前だっただなんて。そうすることで通常より機能することがあるだなんて。
あれ、でもここまで書いていて思ったけれど、大体のことはそうだよな。
最初に決めたシステム通りにことが進むなんてうまい話は大抵なくて、その都度イレギュラーで対処されて、気がついたらそのイレギュラーが第二パターンとして浸透しているなんてこと世の中にありふれているんだったな。
自動変換で素知らぬ顔で登場する「」を使うたびに、私は「大丈夫、自動変換の「」、お前の出番はちゃんとあるからな。大抵のツールで使われるのは自動変換のお前だから安心しろ。お前はここで使い倒してやるから…」なんて思っていた。
でも、カギ括弧だけ特別扱いすることは、どうやら見当違いな行為なのかもしれない。
だいたい、人間も最初に決めたシステム通りにことが進むなんてありえないんだから、エラーパターンにも優しくしないといけないな。「」、お前はいいよな、平然と受けいれられていて、「」がボーダーで代替されていることに気がついていない人すらたくさんいるんだから。エラーパターンがエラーになってない。
とかいいながら、こう書いている私も実は違う世界線では他の材料から継ぎ接ぎされてつくられている可能性だって、そういうSFに浸るのは自由だし、そこまで妬む必要はないか。