生まれて初めて秋葉原のAVショップを3軒ハシゴした話①
1か月前くらいの話。
たまたまタイミングがあってAVショップに行ってきた。
たまたま(就活での東京滞在時期と、ずっと気になっていたリディラバ*¹のツアー日程が重なり、しかもツアーテーマも関心のある内容で「これは参加するしかない」と思い、即申し込んだら運よく参加出来た。そして、そのツアーの行程で)AVショップに行ってきた。
*¹「社会の無関心を打破する」という言葉を掲げ、社会問題に触れられるツアーを実施している団体。詳しくはリンク先を!!
そのツアーのテーマは『秋葉原で「人権被害」を考えるツアー』。AV出演被害、児童ポルノ、児童買春などの主に若年女性の性的搾取ビジネスを考えるというもの。
今までそういう性的搾取に関するニュースを聞くたびに、何とも言えない嫌悪感を抱いていたが、同時にどこか非現実的な話のようにも感じていた。
個人的にはAV女優=エロをメインに売る女優・アイドルという認識で、そこで被害にあって苦しんでいる人がいることや、たまに聞く「堕ちた」職業だという認識は特になかったからだ。
というのも、最初に知ったAV女優はこの人。
(Twitter @asukakiraran より)
明日花キララ。可愛いー!!!
女子校の友達の友達が画像をSNSにあげており、「可愛い!誰!?」と思って調べたらAV女優。
他には例えば紗倉まなも「顔可愛い」から入って、調べたらAV女優だった。「AV女優」という職があることは知っていたものの、その職に就いている具体的な女性を知らなかった私は衝撃を受けた。
「こ、、、こんなに可愛いのか、、、」
恐らくこの例に挙げた2人は女優の中でも人気のある稼げている方たちだとは思うが、それにしても可愛いしスタイルもいい。
この瞬間から、私のAV女優に対する認識は「よくわからんけど怪しくていかがわしい職業」からこんな可愛い人たちがいる世界、芸能界と同じで誰でも生き残れるわけじゃない…
すなわち「それなりにプロ意識を持たないと厳しい職業」に変わった。
とはいえ、この認識の変化についても、AV女優についてもこれ以上考える機会もなく、人と話す機会もなく特に気にすることもなかった。
性やエロに関することに触れるのはなんとなく恥ずかしいことで、 触れてはいけないことだという意識があったから。
だけど大学入学後、あらゆる社会問題を知る中で貧困とセックスワークの関係や人権被害などをぼんやり考えることもあり、それと同時にAV女優の認識もまた少しずつ変化していった。
だからこそ今回のリディラバのツアーはもっとこのテーマについて考えるきっかけにできると思った。
実際にAVはどういうプロセスでつくられて、どういう形で消費者まで届けられているのか、現場を見たいと思った。
そして、出演被害にあっている人がいるという(出来ればあまり見たくない)事実を実際にその被害者を知っている人から直接聞きたいと思った。
とにかくもっと知りたいという気持ちのままにツアーに参加した。
ツアーは
①性的搾取の実態を聞く講義
②商品化された性をみるべくAVショップへ行く
③参加者で感想共有、まとめ
という流れ。
①性的搾取の実態を聞く講義
メインスピーカーとして話して下さったのは
主にポルノ被害にあった方への相談支援をする団体の支援員の方。
被害者の事例をいくつか紹介していただいた。
例えば、こんな事例がある。
ーーー
女子大生が芸能事務所のスカウトと称する人にしつこく声をかけられてスタジオに行き話を聞くことにする。
その女子大生は芸能界に少し興味もあり、かつ「仕事を選べるし、映像は秋葉原のごく一部の店舗にしか出回らない」という言葉を信じて、契約書にサイン。学生証と保険証のコピーをとられる。
そして同時に宣材写真として上半身裸の写真をとられてその日は終わる。
しかし、よくよく考えるとこわくなり、その女子大生は契約をなかったことにしたいと連絡するものの
「もうスタジオ予約しているからキャンセル代300万かかるけど払える?」
「払えないなら親と学校に連絡するよ(保険証と学生証コピーで情報をとっている)」
という返事。
親や学校に知られたくないために警察にも相談できず、結局は事務所の言うがままに映像をとられて、しかも大型新人デビューとして売り出される。
ーーー
他にも、パーツモデルとして応募したがAV女優として契約させられた例など、
契約プロセスにはいくつかのパターンがあるらしい。
・ものすごく感じが良くて親切な人が声をかけてくる。
・「可愛い」と外見を何度も褒められる。
・事務所も清潔感のある明るい雰囲気で怪しさがない。
などの理由でとにかく安心できる雰囲気が用意されているということも聞いた。
上記の例は被害者の一例で、実際は他にも色々な契約の流れがあるのだろう。
じゃあAV業界すべてが悪いとか違法だとかの話に終始するのは違うと思っているが、
被害者がいることは問題だとおもう。
内閣府の最近の調査で、契約に至った197人中73人が意に反する撮影被害にあったことが明らかになったが、こんなにも数多くの人が傷ついたのかと思うと胸が痛む。
しかし、その講義の中では、業界側が言うには強要は特殊な例で「女の子が望んでやった」「無理強いはしていない」 という主張をしているという話も聞いた。
それが本当ならば矛盾しているじゃないかとも思ったし、いや、そもそも被害者ももっと身を守る意識を持たないといけないとも思った。
話を整理すると、私は講義直後は
1.女の子に強要させているくせに「望んでしたこと」とトボけたことをいう事務所側ふざけるな〜!
2.女の子も自分の身は自分で守るべきでは?
ということを思ったのだ。
だけど、まず1については、よくよく考えると強要ってどういうことだろうかと思うようになった。
あからさまに脅されて、恐喝されてということだけを強要とは言わないと思う。男性に比べて女性はどうしても力が弱いし、体格も小さいことが多い。
自分よりも大きくて強い男性に囲まれるその状況を女の子が「恐怖」と捉えた瞬間から例え強要したつもりがなくても女の子にとっては強要になるんだろうなと思う。
というのも、私は割と身長があるし、華奢でもないし、気も強い方だと思うので、体格的な意味で日常生活において男性に恐怖心を感じたことはない(小6で163cm)(加えて昔は足が速かったので、いざという時は逃げ切れるという変な自信があった。)
だけど、初めて筋骨隆々かつ190センチくらいある男性を目にしたとき、その迫力に驚いた。
東京の満員電車で押しつぶされている小柄な女の子や、フェスで押しつぶされている友達からしたらこの迫力は日常的なものなのかもしれないと思うと、男女で強要の認識にズレが生じても何らおかしくないと思った。
この見えにくい前提をもっと大切に問題を考える必要があるのかなあなんて思った。
※ちなみにこの考えに超似た意見があり、そうそうコレコレ!と思ったので載せておきます!
なんならこの記事読んだ方がわかりやすいかも、、、(笑)
“元出演者”としてAV出演強要問題について思うこと【カリスマ男の娘・大島薫】 | 日刊SPA!
そして、2自分の身は自分で守れという話。
これは性教育にもつながるところなのかもしれないけれど、女子は男子に比べて圧倒的に性に関する話題を口にすることは少ない。
特に大学入学前、少なくとも私の周囲ではそうだった。
とすると、学校や家庭で性についての理解や、身を守るために必要な知識が養われると思うのだが日本の学校での性教育ではあまり養えないことが現状だと思う。
そして家庭でもその教えに差がでる。
中学のころ、キスで妊娠すると信じて疑わない友人がいた。どういう性犯罪に巻き込まれる可能性があるのか、携帯小説で初めて知った友人がいた。
ぼんやりとでもいいから、身を守るための知識をきちんと身につける必要があると思う。
ちなみに我が家にはこの本があった。
ベディーボガホールド作『とにかくさけんでにげるんだ わるい人から身をまもる本』
とにかくさけんでにげるんだ わるい人から身をまもる本 (いのちのえほん)
- 作者: ベティーボガホールド,河原まり子,安藤由紀
- 出版社/メーカー: 岩崎書店
- 発売日: 1999/01/25
- メディア: 大型本
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こういう本を使えば、幼い子どもでもわかりやすく身を守るとはどういうことなのかが理解しやすいと思う。
あと研究室の先生から教えてもらった本、強要と感じないような強要や身を守ることの困難さについて結構詳しく書いてあるこの本もおススメです。子ども向けではないけれども。
- 作者: マリー=フランスイルゴイエンヌ,Marie‐France Hirigoyen,高野優
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1999/12/01
- メディア: 単行本
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被害に遭われた女性全員が身を守るための知識がなかったわけではないと思うが、少なくとももう少し、女性というだけで性被害にあう確率が高いことや、どういう風に巻き込まれるのかを知っていれば、変わっていた事態が存在するのではないかと思った。
このように色々考えて、女の子だけに「自己管理ができていなかったのが悪い」と押し付けるべきではないと自分の最初の考えを反省したのでした、、、
こんな感じで講義が終わり、いざAVショップへ、、、!!
の話は、(既に4000字近くあり)余りに長くなりそうなので次回更新します!
自分探しの旅にインドに行く前に色々考えたので広い心と深い愛で全部受け止めて欲しい
何故人は自分探しをしたがるのだろう
何故人はそれをインドで探したがるのだろう
何故何故何故何故何故
そう思っていたわたしも、自分探しをしたくなる症候群にかかった。
就活で「自分らしさとは?」みたいなことを考える場面を私は避けて通れず、思わず自分探しの旅に出かけたくなる衝動に駆られたのだ。
インドあたりに。
急に、自分とは???自己アイデンティティとは!??!ないな!!!!ないわけない探せ!!!みたいな。
それで仲いい友達に「私の長所と短所を述べよ」「私らしさとはなにか述べよ」みたいに図々しく聞いてみることをしたり、過去の日記なんかを読み漁ったりした。
でも、例えば高校と大学の友達に聞いたらそれぞれに違う「私」がいて混乱。
高校の日記(部活動で毎日書いていた日誌)をみたら、半分くらいはまるで私じゃない他人が書いたような内容。めちゃ自分に厳しいやんwちょっと盛るにしても引くくらいストイックやんwみたいな。
結局、「私はこういう人間です」という普遍的説明書はつくれず。
そのときは少し悩んだ。
おい!!私のトリセツは?!
西野カナ頼む!!作ってくれ!!!
西野カナは作ってくれない。
でもよくよく考えるとそんな万能トリセツはないと気が付いた。
だってそもそも自分の中に複数性があるのは当たり前だしな、と。
多分、どんな場でも似たような態度をとれる人もいれば、場に応じて振る舞いが変わりやすい人もいて、自分の中にある自己の数が多いか少ないか、その差異が小さいか大きいかだけの話だろう。
この考えは結構腑に落ちていて、それぞれの場でのあらゆる自分の振る舞い、あらゆる態度、全て含めて「自分」だと思うことで「脱☆自分探し」ができた。
例えば、私@カラオケ は、歌の上手い人がいる、盛り上げる人がいるメンバーでカラオケに行くときはとにかく聞き役、聞いて盛り上げるに徹したい。
でも、盛り上げる人があまりいない、なんならカラオケ苦手みたいな人がいる場面ではとにかく歌って盛り上げたい。歌うのが苦手な人もせっかくならこの場を楽しんでもらいたいし、私も歌は上手くないのでその気持ちは少しは分かるし。
どちらの場でも私は嫌々しているわけではないし、どちらの場でも結構楽しい。
カラオケという同じ行為の場であっても、その場の構成員が違えば異なる場となる。それぞれに応じた私がいる。
最近カラオケに行ったのでカラオケでの自己の使い分けの例を出したけれど、他の場でもこのような使い分けはたくさんある。
場に応じた自己を使い分けることは当たり前で、この前提なしに自分とはなにかを考えてもそりゃ見つからない。
そして、この複数の自己の存在を前提としたとき、自分の思う自己に固執するあまりに場に反した自己を貫き通すことはその場を構成する一員として正しい振る舞いではないと思うようになった。
大切なのは、色々な自己を使い分ける中でいくつかの居心地のいい場があるとしたときに、その居心地のいい場を大切にしていくこと、大切にできる環境が用意されていることだと思う。
私は自分が楽だな、ここにいたいなと思うその感覚を大切にしていきたい。
西野カナのあのトリセツも「ダーリン(Darling )の前でのワタシ♡」のトリセツに過ぎない。
四六時中誰に対してもあんな思考の女はいくら可愛くても まず市場に出ない。
自分を探しに旅するくらいなら、自分がココだ!と感じる場をたくさん探したほうが新しい自己の発見があって面白いのかもなぁなんて思います。
その新しい場を自ら開拓していくということがあまり得意な方ではないので、自戒の意味も込めてやや偉そうな締めくくりをする、、こんな私だけど笑って許して、、、
東京の人混みから身を守るどころかむしろ人混みに希望を感じるための思考法
東京に来る度に人の多さにウンザリする。
なんなんだみんな家に帰ってくれ。密集度が尋常じゃない。街を歩くだけで疲れる。
東京の人の多さを想像できない可愛い福岡ピープルのために説明するとするなら、東京で体感する人口密度はバレンタインシーズンの三越8階の催事場くらいの人の多さである。
あれが常。東京の日常、、。
しかしそれでも我々は強く生きねばならない。人混みに揉まれてもたくましく毎日を生きる必要がある。
そのための画期的な思考法をここでは紹介したい!!
その思考法とは、
ここ東京に藤原基央が生きていることを思い出す。
これに尽きる。
これしかない。
藤原基央といえばわたしが愛して止まない、中学二年生から健気に愛し続けたBUMP OF CHICKEN のボーカルであるが、あの彼がここ東京にいると思えば人混みなんかなんのその。彼がもしかしたらこの人混みのどこかに存在しているのかもしれない。いや、いる。確かに存在しているのだ。いないわけはない。わたしの半径10メートル以内にいなくともその範囲を広げていけば必ずいるはずである。
もしかしたらこの人混みの中に藤原基央が、、、?!!?
『ウォーリーを探せ』もしくは『ミッケ!』を読んだことがある同胞なら理解できると思うが、まさにこの感覚で『藤原基央を探せ!』を無制限にできるのである。そう、今は大海賊時代。ここは東京、イーストブルー。藤原基央という名の宝を探し出す旅は気付いたら始まっているのだ。海賊王になるしかないだろう。
それにこの思考法においては、藤原基央とわたしの間の物理的距離がいくらであろうと問題ではない。
本質はそこではないのだ。
わたしと物理的に接触可能な一般人(ここでは藤原基央ならびに好みの芸能人以外と定義する。例としては菅田将暉や西島秀俊など。)が藤原基央と何らかの形で接触した後かもしれない。
音楽関係者や藤原基央が行きつけのケーキ屋(彼は甘いものが大好きらしいので、行きつけのケーキ屋があるという設定にした)の店員など彼と接触して間もない人間が隣にいるかもしれない。
これは間接キスならぬ間接藤原基央である。
わたしは21にもなるのに思考がまだ中二で止まっている部分があり、間接キスにも耐性がない。異性から「飲む?」などと直飲みしたペッドボトルなどをシラフで渡されようものなら恐らく動揺しまくる。
ーー ーー
「飲む?」
輝く笑顔、差し出される右手、そこにはポカリスエット。数秒前まで彼のその柔らかそうな薄い唇に触れていた飲み口が、今、目の前に。
「ありがとう、神木くん、、、」
そう。恋に落ちる。
ーーーー
とまぁこんな具合に。
そのため間接藤原基央にも同じように耐性がなく、興奮できる。間接だろうとなんだろうと藤原基央と接触した人間とわたしが接触しているということはわたしも藤原基央と接触しているのである。
念のため自慢しておくと、2014年のツアー「WILLPOLIS 2014」in 幕張メッセと2016年の「BUMP OF CHICKEN STADIUM TOUR 2016"BFLY"」in 福岡マリンメッセ
で2度も藤原基央の手に触れた経験があるんですけどね!!!!!実は接触済みなんですけどね!!!!!ハハハ!!
以上、何が言いたかったかというと、わたしはもはや人混みに希望さえ感じられる。