MMオフィシャルブログ

全てフィクションです

パブロフの犬を脱したい

「大変恐縮ですが、諸事情により辞退させていただきます。」

まだ会ってもないのにハッキリと振られると、毎回地味に心にくる。いや、会ってその上で振られても心にくることは変わりないのだけど。

プライベートでは振られるほどの挑戦的な恋愛はしたことがないのに、もしかして、人は誰でも人生で振られる数が決まっているんでしょうか?

仕事で、仕事なんかで感情が動くなんて思っていなかったのに、この2年間何度も胸の奥が苦しくなって(本当に胸の奥が苦しくなることってあるんだなと思った)なんだか少し打たれ強くなったと思っていたけど、全然打たれ強くなっていないことについ最近また気がついてしまった。

 

私は企業の新卒採用担当をしている。

就活や面接といったテーマは、前提が揃っていなかったとしても、誰でも自分ごとにして語りやすいのでよく炎上する。なので、こうやってインターネットに文章を置くことには乗り気じゃなかったのだけど、区切りと思って思いの丈を吐き出すことにしてみた。

採用担当は学生一人一人の名前や顔なんて覚えていないだろうという前提のもとでコミュニケーションをとられることが多いけど、私はどうやら記憶力が非常にいいらしく、結構顔と名前を覚えている。顔を合わせたことがない学生ですら学校名と名前を覚えているくらいで、25年間生きてきて今気がついた特技である。

だからこそ、会ったことがある人にも、会ったことがない人にも、辞退ならぬ逆お祈りをされると心が痛む。

勝手に期待して、勝手に未来を描いて、勝手に気持ちが昂って。そういう私が悪いんだけどね。もっとビジネスライクに考えればいいんだけどね、そう思うこともあるんだけど。最初はそう思っていたんだけどね。

 

でもよくよく考えたら私の方がずるいんですよ。

いくらフラットにといっても、やっぱり構図的には企業の方が立場が上なわけで。企業は企業名という大きな看板を掲げて接することができるわけで。

気持ちとしては1対1のコミュニケーションなんだけど、構造としては企業対個人なわけで、大きな看板を後ろ盾に私は守られているんだと思う。そういうことをわかっておきながら、振られた途端に、弱い立場になった途端に悲しいやら苦しいやら喚くのはとんだ勘違いだよね。

都合が悪い時は企業の名前をだして自分を守るくせに、自分が辛い時は個人を出して同情を引くなんて汚いな弱いなと思うけど、でもやっぱり私もひとりの人間なんですよ〜、わかってくださいよ〜、だからこうやって筆をとっているわけなんですよ〜、あぁ違う違うそういう戦略の本とかのおすすめをされたいわけじゃないんですよね。

 

人に期待することによって生じる胸の高まりと、人に期待したからこそ起きる落胆の気持ちのシーソーが自然とバランスをとれる仕組みになったらいいのになぁ。

 

こう言う話をしたら、「やっぱり人に期待しない方が人間関係は楽だよ」なんて言ってくる奴がいるけど、こういう奴は何もわかっていない。(余談だけどこんなことをすまし顔で言ってくる奴は絶対ひろゆきが好きだと思う。)

無理でしょ、どう考えても面白い子がいたら期待するでしょ。いいなぁ面白いなぁって引き込まれちゃうでしょ。めちゃくちゃ肉汁溢れるハンバーグがそこにあったら、美味しそうって思っちゃうでしょ。違う言い方で言うと、梅干し見るとよだれ出るでしょ、そうなんですパブロフの犬なんです。

誰かもう少し楽になるように飼い慣らしてくれないかなぁ。